明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三重県の友人の工房で、二泊目の朝だったか田村写真の田村さんから電話をもらった。海外のサイトに私の所有するレンズが紹介されていて、写真が私のサイトから転用され、名前も載っているという。帰宅後見てみるとカ-ル・ストラスという、かつてハリッウッドはパラマウントで活躍した撮影技師が、写真家時代にピクトリアルレンズとして特許をとったレンズが載っていた。掲載許可のメ-ルを貰っていたのかもしれないが、モノをお願いするときは、先方のお使いになる言語でお願いしてこい、というわけで、ゴミ箱行きだったのであろう。勿論知っていればどうぞお使いください、という話なのだが。  このレンズはE-bayのオ-クションで見つけ、田村さんに代理で落札してもらったのだが、私にとってただのソフトフォ-カスレンズではなく、ここで会ったが百年目、というレンズであった。この話は当時何度か書いているが、ストラスという人物は、ロシアバレエの天才ダンサ-、ニジンスキ-がアメリカ公演を行ったさい、おそらくこの4×5インチ用のレンズを木製の一眼レフカメラ、グラフレックスに着けて撮影している。『牧神の午後』の扮装したニジンスキ-も撮っているが特に『ティル・オイレンシュピ-ゲル』のニジンスキ-は、間違いないであろう。このレンズとニジンスキ-を結び付けられるのは、もはや私しかいないではないか!と地球上で唯1人、そんなことに盛り上がったわけなのである。私のサイトから転用するくらいで、希少なレンズであることはことは間違がいなく、予定外の高値になったが、例えば九代目市川團十郎の掛け軸のように、これを手に入れさえすれば、作家として勝ったも同然、と思わせる“ブツ”が、あるものである。 届いた直後に、田村さんから、おそらく水晶レンズ(石英)だと、興奮した連絡をもらったのを覚えている。これは紫外線を通すので、フィルムに、人間の可視の世界と別のものを定着することも可能らしい。 今年はロシアバレエ百年に当たる。日本人にはピンとこないらしく、海外でもリ-マンショックの影響なのか、私が思っていたほどの盛り上がりを見せていないように思える。しかし、その当時の私は、ニジンスキ-を制作し、このレンズで撮影して個展を開くつもりでいた。ところがまず先に制作しようとしたディアギレフは、改良ばかり続けて、未だに完成していない。当然、次に制作するはずの主役のニジンスキ-の改訂版は、着手すらされていない。それもこれも『中央公論Adagio』に係わっているせいである。 八月配布号は、特集人物が決まらないまま、六月も数日経ってしまっている。某御聖人様が候補から外れた、という本日の連絡は幸いではあったが。残る二人の候補者のどちらになるか、連絡を待っている状態である。と、本日の雑記も風に流され、書き出しから遠く離れたところに着地したのであった。

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