明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



某週刊誌に『W杯トロフィーの公式レプリカは日本人が作っていた!』と、我が家の熱帯魚が死んで、めっきり雑記の出番がなくなった、専門学校時代の友人Hの父親が載っていた。TVにも出るそうである。彼の仕事場に行くと、このトロフィーが置いてあるが、サッカーに大して興味がないので、原型から型を取って鋳造するのでなく、W杯の主催国がその度レプリカを作ると聞いて面倒なことをするもんだ、と思って見ていた。Hは父親の影響でアクセサリーの仕事をしているのだろうが、Hにいわせると、“ああいう親父を持ったおかげで、ずっと普通を目指してきた”そうである。目指してきたようにHが普通か、というと、必ずしもそうとは思えないが、目指してきたと本人がいうのだから、目論み通りにいかなかったな、と混ぜっ返す気はない。 何度かお会いしていて、誌面でトロフィーを持って破顔一笑している親父さんを見ると、Hとキャラクターが違うことは間違いがないようである。私からすると、死ぬまで息子のやっていることを理解できなかった父にくらべると、仕事について語り合える分、羨ましく感じることもあった。上手くいかないものだが、私の父は父で、私以上に私に対して不本意だったことは間違いがなく、それはいっておかないとならないだろう。しかし今の私は生まれた時からこうであり、環境の影響など、何もない中、こうなっている。つまり生まれつきなので、私に責任はない。小学校の同窓会で、あの頃のまま、ただ拡大しただけだ、といわれたが、私にいわせれば、成長にともない、人が変わっていくことが良く解らないのである。このことは、普段うかつに口にしてならない、と私が戒めている筆頭事である。もし口にする場合は、脳天気に笑顔ではなく、悩みごとのように、眉間にしわを寄せるくらいの慎重さが必用であろう。

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