明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

博打  


大関の琴光喜が野球賭博に係わっていたことが明らかになった。可哀相に、親方の佐渡ヶ嶽は泣いていた。琴光喜が大関に昇進後、二十日で亡くなった先代の佐渡ヶ嶽、琴桜のことを想って泣いていたに違いない。 解せないのは、自分が勝負の世界にいて、さらに博打をする心理である。ストレスのために手を出したのだろうが、まず力士としての自分に賭けろといいたい。力士人生など、ごく短いのだ。 私は博打嫌いで、パチンコすらやった記憶がない。この雑記では、好きなことを楽しげに書いているし、それは事実ではあるが、一方、頭ではこんな物を作っていいのだろうか、と常に罪悪感に苛まれながら制作しているので、出来るかどうか判らない物を作ろうとする性分に、ハラハラしどうしなのである。元々博打嫌いなのに、なんだこの博徒のような毎日は、というわけである。遊びに来た友人に“結構面白いだろ”なんていってるだけで生きていければ良いが、そうもいかない。粘土に向かい合い、レンズを覗いていると、そこにはスリルも恐怖も、何もかもがある。よって制作以外では、危険なことには係わりたくないし、まして人と競い合ったり、揉めたりなど、一切したくない。何かが減りそうで楽しいことさえ避けるくらいで、総力をあげてかからないと恐怖心に勝てないのである。 ただでさえ乏しい勝負運を、野球賭博で消費しているような人間は、勝負の世界に向いていないから引退すべきであろう。

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