明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



実景を作り物の屋内スタジオに見立てるというアイディアは、円谷英二が特集されることあれば、と以前から温めていた。円谷以外に使いようがないアイディアである。 初代ゴジラ(1954)は戦争の記憶もまだ生々しい時期に作られた作品だが、ゴジラの上陸後のルートは、B‐29の爆撃ルートと同じだそうである。アメリカ映画『キングコング』(1933)に刺激された円谷は、当初、大ダコが東京を襲う、という映画を考えていたそうで、本人のタコ好きもあろうが、海外からの要望もあり、円谷が手がけた作品に大ダコが度々登場する。隅田川にタコというのも妙だが、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』(1965)では、富士山麓の湖から大ダコが登場する。海に近い勝どきあたりは、塩ッパイ分まだマシであろう。前日に活き締めされた瀬戸内海のタコを取り寄せ、糠でヌメリを取って撮影し、勝鬨橋に絡ませたが、熱中のあまり気がつくと足がイカより多い11本になってしまい、断足の思いで8本に減らした。 円谷は水の表現には苦労したはずで、水の性質上、よほど大きな模型を使わないかぎりミニチュア感が出てしまう。さすがの円谷も如何ともしがたかったようだが、一方私としては、円谷とは逆に、街をミニチュア化しないとならない。背景撮影のついでに、岸からほんの2メートル先の隅田川の水面を撮影して合成したが、それだけであたりの風景が、ミニチュア化し始めた。印刷で判るかどうか、勝鬨橋を自転車に乗った人がタコの足下をくぐろうとしている。気付いてはいたが、怪獣映画には、たとえば阿蘇山火口に落ちたカップルの帽子を、たった二百円で取りに行って怪獣の犠牲になるようなオッチョコチョイが付き物である。円谷の背後にあるのはモスラの卵というわけで、ダチョウの卵を使った。この実景を屋内スタジオに変える試みの締めは背後のスタッフである。小学生の頃、円谷にファンレターを出したという、同じマンションの住人にお願いした。円谷は、たまにはゴジラも血でも流したらどうだという意見に、子供にそんな物を見せられるかと激怒したそうである。つねに怪獣ファンの子供達のことを考えていたという。

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