明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

友人  


高校時代の親友Aと、7、8年ぶりに会う。昼の二時半に木場のギャザリヤで待ち合わせなのだが、相変わらず酒は飲まないだろうから、高校生のように、延々と喫茶店で話すことになるだろう。彼は精神科医をやっているが、医者となって間もなく結婚をした。私は例によって、友情を持ってバカなことはやめろ、と止めたのだが、長い浪人生活、慣れない過酷な関西での研修医生活など経て、私の阻止を振り切って結婚をした。そして私の予想をはるかに上回って、会う機会がなくなっていった。待ち合わせに携帯電話持つ私に、会う早々、こんなものは鎖みたいなもんだぞ、という言葉に生活者としての実感がこもっていたが、後で着信履歴を見て、だから俺は止めたじゃねェかとはいわなかった。彼は見た目も中身も変わっていなかったからである。私のように無責任に生きているのと違って、すべてをこなした上で相変わらずなのだから感心する他はない。おかげで所有するギターが15本になってしまったようだが。 昔はよく思ったものである。『お前が今俺に語っているのは何についてだ。主語はなんだ?』私は慣れていたので、全体像が見えてくるまで黙って聞くことにしていたが。それが医者として忙しく患者と接し、休みを削って某大学で講義をし、家庭人になることによってさすがに修正されており、すっかり順序だてて喋っている。『随分サービス良くなったなァ』。私のように子供の頃からペースが変わらず、思秋期に遠くを見る目になって押し黙ったりもせず、人が変わっていくことが良く判らない人間には、同じ調子、同じ勢いで話せる友人がいるというのは幸せなことである。他の旧友と違っているのは、久しぶりだというのに、昔の話は挨拶代わりで、ほとんど現在進行中の話しかでないことである。これからは少々時間に余裕ができるそうで、彼には鎖となる携帯電話も、おかげで気軽に連絡が取り合える。会う機会も増えることであろう。 彼が患者が働く施設で300部作った本をようやくもらった。書店に並ぶことはないが、タイトルは『ヒルコ コンプレックス』。副題がヒルコの漂白 真夜中のコンステレーション 治療者の漂白とある。
 
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