明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



青木画廊にて元薔薇十字社の社主、内藤三津子さんにお会いする。薔薇十字社の書籍はいまだにファンが多く、澁澤龍彦責任編集『血と薔薇』も復刻されている。広告まで作られながら未刊に終った写真集に三島由紀夫が被写体になった『男の死』(撮影篠山紀信/デザイン横尾忠則/跋文澁澤龍彦※発売広告による)というものがある。三島自決の寸前まで撮影が行われ、死の一週間前に内藤さんは三島と出版契約を交わしている。この中で三島は様々な人物に扮し、様々な死に方をしている。  私は常々、作家を制作するにあたり、すでに亡くなっている人物とはいえ、作家本人に見てもらい、できることなら本人に喜ばれたいと夢想しながら制作している。三島を制作するにあたって、三島好みの人物に扮してもらい、三島が愛好した芳年の血みどろ絵よろしく、様々な形で死んでもらったら、三島本人は間違いなく喜ぶに違いないと考えた。その時点で未刊の写真集『男の死』の存在を知らず、まさか三島本人が最後に『男の死』を残そうとしていたとは思わなかった。過去の雑記を調べてみると三島を制作し始めた数日後、2004年4月(某日12)に思い付きを書いており、翌月制作のために入手した芸術新潮の三島特集号の篠山の言葉で『男の死』を知ったことも書いている。(某日2)余談であるが、『男の死』というタイトルで雑記を書いた数日後に父が亡くなっている。 私は『男の死』は、三島が自身の死の副読本のつもりで作ったのではないかと考えている。壮絶な死の直後に世人に見られることを想定して作ったのは間違いがなく、その効果は絶大だったであろう。あの死の直後に、たとえば魚をぶちまけ、腹に包丁を刺して死んでいる魚屋に扮した三島を見せられた世の中のショックは大変なものだったはずで、冷静に準備された作品群を見たなら、あの事件のその後の評価にさえ、影響を与えたに違いない。しかし、諸々の事情で公開されずに終わり、40年起った今公開されたとしたら、この“コスプレ写真集”は、生前に三島に浴びせられた以上の失笑を買う可能性が大きいであろう。三島の企みどおり、あの直後に見てこその『男の死』であったと思われる。タイミングの天才篠山が、未だ公開しない理由の“一つ”もそこにあるだろう。  本人が演じるのと三島像を制作して、というのは意味は違うが、私がイメージしたことを40年前に企画制作を試みた方と是非お会いしたい、と内藤さんには昨年すでにお目にかかっている。現在青木画廊に展示中の『からっ風野郎』は、石塚版『男の死』のプロローグのつもりで制作した作品である。

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