明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


昨晩は時間がない中熟慮の末、三鷹まででかけ『立川談春独演会』へ。先週の志らくに続いて、というのが格別なわけだが、当初考えていたよりスケジュールに追い詰められているが、せっかくのチケットを無駄にするわけにも、と出かけた。談春はノッており、無理して行ってよかった。終演後はYを仕上げるべく家路を急いだのだが、よろしくないのは帰宅後である。メールを見ると、先日の編集会議でFさんに、送ってくれるようお願いしていた某所の画像である。特にどうということもなく、本文にも使用されないことになった場所で、ネットで検索しても画像はでてこず、私には今でもあるのかどうか定かでなかった場所なのである。確かにあまりにこじんまりとして、誰も気に留めない場所かもしれない。今時、ネットの検索に乗ってこないのだから相当なものだといえる。だがしかし、私は気になってしまった。 そもそも一週間も房総に出かけ、余裕をかましていたのは、背景を早々に撮影し、時間をかけて調整をし、あとはYを立たせるだけだったからである。なのでFさんから送られてきた画像を見るときも、この期に及んで私の気が変わらない程度の場所であってくれ、と願ったのだが、これがまた悩ましいことに、現場に行ってみないと判らないような、無視することも可能な程度に微妙な場所なのである。私が佐々木希だったら「神様のいぢわる」とつぶやく場面である。無視することも可能なら、すっかり忘れて今月の残された僅かな時間を、精一杯生きるしかないであろう、とTVから流れる映画『天使の恋』の音だけ聴きながら。

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