明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、青木画廊の搬入日だった。プリント上がりが6時半なので、それを受け取って伺います。などとメールをしたのだが、その後、もうちょっとこうしたい、とついやってしまって乾かない。結局乾燥を考え搬入日を遅らせてもらった。というわけで本日はしっかり乾燥機にかけ国立へ。国立で嵐山光三郎さん主催の落語会に初めてお邪魔したのは05年の『国立お花見落語会』であった。真近で観られて面白かったが、むしろ記憶に残っているのは、お邪魔した二次会会場に着いてみたら空いてる席が嵐山さんの真ん前、志らく師匠の隣しかなかったことである。みんな遠慮して空いていたわけだが、嵐山さんと真正面に向い合うのもナニだが、その日、ドアの隙間から高座に上がる直前の、志らく師匠の死にそうな顔を見てしまい、プロの凄味に打たれてしまって隣にいるのに話せなかった。ご本人がまた寡黙だし。その後何度か落語は拝聴したが、本日久しぶりに真近で観て、すっかり貫禄が増していた。『短命』『紺屋高尾』。“芸術とは変態行為を人様に見せて感動させるもの、つまり変態を感動に昇華させるもの”という志らく師匠に、特に『紺屋高尾』では、笑ったりジンとさせられたりコントロールされ放題という感じであった。 私は『志の輔』の声が大の苦手で、演奏がいくら良くても音色が駄目、というわけで、談志を継ぐのは『志らく』『談春』どちらかに願いたいが、うまくいけば来週『談春』を聞ける。もっとも、どっちだ、と思ったって私の意見など、ここじゃ書きゃしないが。 嵐山さんに青木画廊のDMを渡し、出品する写真作品の小さいプリントを見せると「これアソコで撮ったの?』と聞かれたので「ハイ」と答える。『悪党芭蕉』で芭蕉の神格化を否定し、かつ面白い人物であることを示した嵐山さんには、アダージョの芭蕉特集号が届いているはずなので、芭蕉を見た門人の描いた肖像画だけを参考にした我が芭蕉像のご意見聞くべきであったが、そう思ったのは挨拶が済んで背中を向けた時であった。本日は二次会は遠慮し、鶴澤寛也さんTさんとお茶を飲んで帰った。 木場に着いて、土曜はやっていないだろう、とT屋を覗くと、K本の常連が集まっている。アダージョ今号で、後姿で登場のYさん、直後に引っ越したのだが、相変わらずの顔して参加していた。下町の連中は、シャイなので始めは取っ付きにくいが、ひとたび距離が縮まれば、実に暖かかつ濃厚な付き合いができる。しかも適切な距離間だけはちゃん守られるところが絶妙なのである。おかげで友人と飲む機会がすっかり減ってしまったが、こんな近所のオジさんやお爺さんとばかり飲んでいる、というのもどうかと思うのだが。

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