ライターの妹尾美恵さんからジョニー・ウィンターのチケットがあるので、とお誘いいただいた。最近の映像を見た知人から話しを聞いて一度は断念したのだが、ボクシングも中止だし、せっかくなので行くことにした。CMでは元気な頃のライブ映像しか流さないが、いいのかそれで?
ここのところ二・二六事件の朝の再現を試みている。青年将校役の三島由紀夫が、様々な状態で配される予定である。先日のブログに書いたように、オイルプリント化して発表の可能性もでてきたが、二・二六でオイルプリントといえば想い出すことがある。 2000年に九段にあった画廊でオイルプリントの個展を開いた。99年に1日だけという特殊な形では初披露しているが、ちゃんとした個展としては始めてである。観に来ていただいた方々は、始めて眼にする技法であったろう。これはいったい何なんだろう、ということに終始し、絵の具を使う技法は、現代においては、いっそ版画の一技法だという方が判りやすいと思われた。しかし歴史的には写真という分類であるから、私が勝手に解釈を加えることは避けた。画廊主自体が最後までこの技法を把握することができずに終ったが、画廊としては限定何部、という写真、版画的な表記を求められたが、この場合、何部同じものがあるというのが前提だが、用紙を手作りし、ブラシで叩いて印画するこの技法では、データがあれば同じものが出来る他の写真技法と違い、このネガを使って今後何部しか作らない、という意味になる。 この前年、後に画像加工などすることなど考えもせず、HPを作るためウィンドウズを入手していたが、オイルプリントを広めるためにもホームページを作る必要を感じ、翌年このサイトを開設したのであった。 二・二六というのは、この画廊は千鳥ヶ淵と目と鼻、通りを隔てて靖国神社があり、事件当日戒厳司令部となった九段会館も近い。画廊のビルの地下では、決起軍将校がビラを印刷したと聞いていた。以前紹介したことがあるが、そこで撮ったのが、この1カットである。ネガフィルムには妙な物が蠢いている様子がハッキリ写っており、物によっては、尾をひいて、あきらかにホップしている。詳細に見ると床などにもかなりの数である。入ってきた方といきなり眼があうのも、と私は柱の陰に坐っており、回ってきた所で挨拶することにしていたが、室内に入ってきた気配があるのに誰もいない、ということが2回あった。私は基本的に、“そんなもの”があったら大空襲のあった東京なんかで暮らせるもんか、という立場である。それはそうだろう、どこぞのトンネル、どこぞの病院などというセコイレベルではないのだから。しかし“そんなもの”が人一倍好きだということは別な話しで、よって待望の1カットなのである。
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