明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



スーパーやコンビニでカップラーメン、パンなどが買い占められ、商品がなくなっている。被災地というなら判るのだが何を慌てているのか。 私が中学生の頃、オイルショックによるデマから始まり、トイレットペーパー不足で大騒ぎしたことがあった。売り場に殺到するニュース映像を見ては、日本人ってなんて貧乏臭くて卑しいのだ、と辟易とした。紙なんてなんだって良いじゃないか。 もっとも我が家は東京23区内といっても土俵際で、直接口を開けている形ではなかったが、まだ汲み取り式であった。なので、紙はなんだって良かったわけだが。
先日、私の考えた技法(というほど大袈裟な物ではないが)により、都内某所の玄関前を血の海にしてから、そのできに満足し、適当な場所を撮影したデータを見つけては血だらけにしている。こんなことが前にもあったな、と思い出したのが、江戸川乱歩で『目羅博士』を制作した時のこと。真昼の光景を撮影し、それを月光降りそそぐ夜景に変えた。短編ということもあり、ほとんど青い色調で通した。これがまた面白く、かたっぱしから夜景に変え、必要以上に作ってしまった。この方法は、後にアダージョの松尾芭蕉でも使った。 妖しい月光風景に血となれば、ゴシック調吸血鬼譚を思い浮かべるが、残念なことに、青白い月光の下では、鮮やかな血の色は台無しで、月光により変身した怪物には灯かりの灯った室内にて暴挙に出てもらうしかない。暴挙は是非外の暗がりで、という場合にはしかたがない。猫が捕まえたネズミを見せに来るように、口のまわりを血だらけにしたまま、灯かりのある室内に顔を出してもらうほかはない。

他の人形にかくれて気が付かなかったが、棚の奥でひっそり、宮武外骨とマルコムXが倒れながらも斜めに支えあい、“人”という字になっていた。

 

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