明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



現在制作を考えているのは石塚版『男の死』である。三島の死の数日前まで篠山紀信により撮影が行われていた『男の死』は、篠山のインタビューや評伝などから拾ってみると、すでに『血と薔薇』誌上で発表済みの『聖セバスチャンの殉教』『溺死』以外に、魚屋が魚をぶちまけ包丁で切腹。片手で吊り輪にぶら下った体操選手が射殺されている。頭を斧で割られている。セメント運搬トラックの下敷き。ヤクザのリンチ死。その他、切断された首などがあるという。15カットはあるそうである。 企画発案者である元薔薇十字社の社主、内藤三津子さんにはすでにお会いしているので、直接伺っても良いのだが特に聞いてはいない。それは兄、左門豊作のために、完成間近の消える魔球を探りにいった弟の口を塞ぎ、「それをいったらアンちゃんは星君のライバルでなくなってしまうバイ!」といった左門豊作の心境である。というのはまったくウソである。 体操選手やトラックの下敷きなど、それは本人が演じたから良いのである。一方私はあくまで作品として創作するので今まで同様、三島の作品、言及したイメージの中に三島を描くべきであろう。共通しているのは“嬉々として”死んでいるところくらいか? 内藤さんから伺っているのは、『男の死』のなかに武士の切腹がある、という説に関して、それは絶対なく、すべて現代が舞台である、ということである。企画者としてすべて立ち会っているから間違いない、と仰っていた。私も侍のカツラをかぶって切腹している現場写真のベタ焼きを見た、という人物から、それは死のおよそ一週間前、カツラのサイズが合わなかったが、時間がなかったからか(それはそうであろう)そのまま撮影した。ということまで聞いている。没後40年といえば、伝説が熟成発酵するには充分な時間だということであろうか。

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