明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

  


『船の挨拶』の灯台の見張り小屋の開け放たれた窓で海上保安員は撃たれる。小屋というと木造小屋を思い浮かべるが、野島埼灯台の、今は使われていないコンクリート製の霧信号所を見張り小屋に見立てた。よって屋根に大きなホーンが付いている。建物自体が変わった形でもあるしホーンもつけたままにした。窓はガラスが割れており、いかにも使われていない感じだったので塞いだ。しかし作中の窓の形がどうだったか。霧信号所はおそらく上下にスライドする窓だと思うが、三島の戯曲集が手元にないので深川図書館まで確認に行くと引き戸であった。『船の挨拶』は戯曲である。よって三島の記述は舞台装置として書かれている。画として引き戸はどうだろうか。密航船からの銃撃をさあ撃て、と受け入れるには、観音開きこそ相応しい気がする。変更可能であろう。 この画には右側に、この戯曲の要である『汝の御安航を祈る』“W・A・Y”の信号旗がはためく予定である。これは当然変更不可である。三島は作品が古びないため時代が出るものを避けていたが、国際信号旗W・A・Yがコクリコ坂のU・Wに変更になったことは知らずに亡くなっている。亡くなるのはコクリコ坂の七年後だが。

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