明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


海女の初江が使用するタライは獲物を入れるのはもちろんだが、浮き代わりにも使う。入手したのは十代の娘の持ち物としてはいささか味がありすぎるが、誰かから受け継いだ物ということにする。すでに初江と名前を墨書きしてあるが、どうも気に入らない。自分で書いている間は結局気に入らないような気がする。下手糞でも良いから自分の中に無い要素が欲しい。

『コクリコ坂から』の信号旗はやはりおかしいとネット上で指摘している声がある。ポスターも間違っているし、昭和38年当時U・W「汝の安航を祈る」はまだ使われていないということである。企画のための覚書を読むと年代設定に関して『原作は、かけマージャンの後始末とか、生徒手帖が担保とか、雑誌の枠ギリギリに話を現代っぽくしようとしているが、そんな無理は映画ですることはない。筋は変更可能である。』ようするに映画は無理しないものなので、自分のイメージに合うよう変更した。ということであろう。意図的なものなのかオッチョコチョイなのか、どうでも良いことだが、困るのは三島由紀夫が『船の挨拶』に書いたとおりに「汝の安航を祈る」“W・A・Y”という旗を私が掲げたのに、『コクリコ坂から』を観た人には間違って見えるということである。ジブリの制作における緊迫したドキュメンタリー番組など観れば、私だってそう思う。宮崎駿より私の方がどう考えてもオッチョコチョイである。 先日書いたように個展会場では、作品のピアノの鍵盤の数を数えられたり、フンドシで空中に浮かぶ稲垣足穂を指さして、「タルホってほんとにこんな人なんですか」と美少女に詰め寄られたり、色んな目に合うものなのである。

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