明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

搬入  


人形を自分で運ぶ場合は段ボール箱に立たせて固定し、上半身は露出したままにして運ぶ。指などは見えていたほうが安全である。タクシーからおり、結局ドクターXと命名したレスラーは、どういつもりで作ったのだ、と再び思いながら頭を布で隠して運んだ。私は先日まで渡辺温を作っていたのだが。もう一体は、黒人ミュージシャンシリーズ最期となった作品。全部で4体の予定が一体間に合わず、明日午前中に改めてということに。
香川照之が市川中車に。これにはびっくり。歌舞伎に出演するのは聞いたが中車襲名とは。こんなことなら、猿之助もあんな身体になる前にそうしておけば良かったのに、という話である。九代目團十郎の銀行員の養子が、團十郎の死後、28歳で歌舞伎役者に転向した市川三升の例はあるが、異例であろう。三升は結局大成はせず「銀行員!」と声がかかったそうだが、香川照之はよっぽど上手くこなすことであろう。 昔母の実家の隣が銭湯で、猿之助のお妾さんが近所に住んでいて、よく来ていたという。おそらく二代目猿之助のことであろう。九代目の関係者ということで二代目市川段四郎の色紙を所有している。師に無断で勧進帳を演じ破門された人物である。後に苦労して重鎮となった初代の猿之助である。こんなことがおそらく詳しく描かれているのが『猿之助三代』(幻冬舎新書)小谷野 敦著であろう。読みたいが、個展までは三島以外、一切読まないことにしているので我慢している。そういえば『ガッツジュン』で主役をやってた藤間紫の倅はどうしているのだろう。

去の雑記
HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )