制作中の人物へのオマージュ写真集があり、日本版が古本で出ていたので取り寄せてみた。海外の作家であるから当然撮影場所もいきなり本場である。だがしかし。私にはそれだけであった。イメージを込めようと増感して粗い粒子にしてみたり、赤外線フィルムで撮ったような物もある。撮影者のイメージさえ込められていなければ。と思ってしまった。 私の方はというと、世間が休みの間に励んでいるものの、いつものごとく一進一退。被写体がなければ始まらないので、これはもう祈るしかない。そうしながら小説を読み、作品化する小説を選んでいる。 奇妙な昆虫がでてくる短編がある。私は以前この作品のイメージは、いつか見た夢だと思い込んでいて、読むことで再会する。という体験をした。この作品は登場人物の錯覚だったという結末であるが、これは文章、もしくは夢ならではの作品で、実際はどう考えても、思い込み錯覚するのは無茶な話である。私が作品化するにあたり、“多少”考えるのは、その作品を読んでいなくても面白いと思える場面を選ぶことである。そう考えると、この作品は避けるべきかもしれない。視覚化している人などいないだろううと検索したら、1カットだけ海外のイラストレーションが見つかった。たしかにそういうことなんだよな。とつい笑ってしまった。せっかく視覚化しても、下手すると笑われ火傷する、避けるべき作品であろう。それが解っていながら、頭の片隅には、私だったらどうする。という気持ちがあるのも否めない。私の場合火傷はすぐなおる方だし。
『世田谷文学館』展示中
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