明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昔の写真の補修を頼まれた。実物を見ると思ったより小さく、しかも数人で撮影した写真の一部のようで、特に一枚はあまりに小さく、拡大すると白い着物で、着物の部分は白く飛んでしまって、デイテールは何もなく、つまり情報が何もない。ゴミを一つづつ潰して綺麗にするぐらいしかないだろう。もう一枚は顔が1センチに少し欠けるぐらいのサイズがあり、これはどんな表情をしているか判る。これも数人で撮影した記念写真の一部で周囲の人物はやはり切り取られているので、消えてもらった方が良いだろう。前述の一枚は戦時中のためか痩せて見えるが、こちらの写真だけみると、懇意にしている、江戸っ子で、油断すると早く着き過ぎてしまう運送屋の御主人にそっくりで可笑しい。室内の板壁を斑バックのようにして、床のラインをうっすら加えた。身体が若干かしいでいるように見えるのは画面の中心から外れた最前の右端に座っているので、レンズの収差のせいで、いくらか引っぱられたようになっているせいであろう。後ろの窓枠が歪んでいるので判った。足許のさらに中心から遠い部分になると、やはり収差のせいでスモークを焚いたようにぼやけている。 過去の人物像を作るために昔の写真を凝視する毎日だが、百年以上前のレンズで撮影した経験のおかげで、写真家が加えた修正以前の、像の形まで変えてしまうレンズの収差、癖というものを知ったのが役に立っている。レンズによっては彫刻刀で加工したかのように、シワの彫りまで深くしてしまい、けっして女性に向けてはならないレンズすらあった。

『世田谷文学館』展示中

過去の雑記

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