明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最新作が一番良く見えるというのは単に自分が見慣れていないせいで、慣れてしまえば結局ただ過去の作品であろう。ということで、とりあえずしばらくの間は私も気分が良い。 この作家は、久しぶりにオイルプリント化を前提に考えている。特にその妖しい作風は、黒インクによるプリントが合う。田村写真の田村さんに、私が選んで使っていた画用紙に、ゼラチンを塗布したゼラチン紙の制作をすでにお願いした。オイルプリントは使用する用紙の選択は自由である。 最近手掛ける人が増えているオルタナティブプロセスと称される写真の古典技法であるが、数ある技法の中でも、私はオイルプリント以外にまったく興味がない。外側にレンズを向けずに、額にレンズを当てシャッターを切る念写が理想である。といっているのは本気なのであって、それが叶わないので、頭の中のイメージを粘土その他を使って可視化して撮影している。それに拍車をかけ、ウソもホントも私には知ったことではない、という状態になるためのオイルプリントである。他の技法ではそうはいかない。 91年当時。私は写真をやるつもりなどまったくないのに、ただこの廃れていた技法が知りたいという理由だけで、人形制作を放ったらかしにして打ち込んだ。何故こんなことをやっているのだ、とハラハラしているのに止められない。よってなんとか画が出てきた時点で止めたのだが。その後、自分で作ったジャズシリーズを自分で撮影し、個展をひらくことになるという想定外の展開になり、そういうことであれば、と2000年前後にオイルプリントによる個展を連発した。私のホームページはそもそもオイルプリントの紹介が開設の主な目的であった。しばらくはピクトリアリスト、とトップページに掲げていたが、意味が通じないだろうと数年後に止めた。そう思うとデジタル化の反作用であろう。現在の一部の古典技法の流行には隔世の感がある。かえり見ると、この技法を私が選んだというより、私が選ばれたというのが適切であろう。

『世田谷文学館』展示中

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