明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



どういうわけかネットに繋がらず、ネットカフェより。 エドガー・アラン・ポーの頭部。完成といってから、水面下で紆余曲折、二転三転があった。いつものことなのでブログには恥ずかしくて詳細は書けない。 数日前、数週間前、これはどうみてもポーだろう、という状態にはなってはいた。その度に完成したと思っているのだが。しかし出来たはずの頭部をしばらく眺めていると、何故だかカサカサしたものを感じ始める。その理由を求めてさらにさまようことになるわけである。似ていれば良いというわけではなく、“私のエドガー・アラン・ポー”になっていないとならない。つまり私にはポーがこういう人に見える。ということが大事である。 作家シリーズを始めて大分経つが、ポーとなれば私としても心してかからなければならない。仕上げに入り、どうやらようやく結論に至った。数日眺めているがカサカサは起きない。おそらく写真で残されていないポーの横顔は、きっとこうだったろう。 すでにポケットに入れたポーを何人かには見せているが、もうハイキングにでも持って行けそうである。 日本の作家の場合、平板な顔の造形のせいで、撮影時に当てる光線はできるだけフラットに、と心がけていたが、彫の深いポーからは、ジャズ・ブルースシリーズ以来、色々な角度から光を当てて、様々な表情を引き出してみたい。例えば子供の頃誰でもやった、懐中電灯を下から当てる「お化けだぞー」。あんな極端な照明でもポーともなれば、やってみる価値は充分あるだろう。いや蝋燭でも持たせて間違いなくやるだろう。江戸川乱歩は大人になってもそんなことをやってる、写真だったか8ミリ映像だったかが残されている。

世田谷文学館』展示中

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )