明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



図書館で和服について調べている。こんな感じの画はできないものか、とイメージしたことについて調べているのだが。着付を勉強した人に聞いても、そんな着方はしないといわれる。確かにそうかもしれない。 ホントのことはどうでも良い、と日頃いってはいるが、なんでも有りかというとそうはいかない。特に知識のないことには慎重になる。自分は良いと思っても頓珍漢なことになっていては、伝わる物も伝わらない。2回目の個展の時だったろう。女の子が私が作ったアップライトピアノの鍵盤を数えているではないか。ぞっとした。ある高名なジャズドラマーには、トランペットの手が逆だ、といわれた。どちらでも良いだろうと思ったが、兄貴がまた高名なトランぺッターだったから、いやはやと頭を掻くしかなかった。 噓をつくには本当のことを混ぜるのがコツであるが、難しいのはそのさじ加減である。諦めきれずに調べても出てこない。3日も図書館に通い、今日出てこなければ諦めるつもりでいたが、美人画全集の中、伊東深水の一枚にそれがあった。これで良い。深水が有りだ、というのだから、恐れることはなにもない。

石塚公昭HP

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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