創作行為というのはこういうことか、と考えさせられた鏑木清方作の圓朝図である。なにしろ独学で頭に浮かんだ物をただ作ってきただけなので、創作とは、などと考えたことがない。 私の圓朝とは顔も違うがプロポーションが違うので、同じ構図にするのは厄介である。清方は随分手足を長く描いている。あれが何故か効果的なのだが、あんなに長くないと知っていながら長くする、ということは私にはできない。圓朝本体と蠟燭付きの燭台、扇子はどうやら収まった。あとは下に敷く緋毛氈と湯飲みの到着を待つだけである。 女の黒髪?で描いた鬼火が思いのほか上手くいったので、今回の作品にも飛ばしたくてしょうがない。50以上は用意してある。しかし清方作品は白っぽい灰色の背景なので、そのままでは配することはできないので金屏風を後ろに置いてみるのも良いかも。ただ蠟燭の炎を鬼火の手法で描こうと思っていたので、鬼火と二つ重なるのは少々うるさい。鬼火を配するなら蠟燭は主張させないほうが良い。しかし及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシの私であるから、誘惑に勝てず、そこらじゅうでボウボウさせてしまう恐れがある。牡丹灯籠の時も鬼火を飛ばしたい。だったら思う存分飛ばして、すべて完成した際に外す方が良いかもしれない。
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