明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



圓朝の彩色が途中で止まってしまったのは、以前ブログで触れたが、ある部分にデイテール不足を感じて加えた。今までそこはそうしなかった。そうしたら、なんでここをもう少しこうしない?とバランスを欠いた気がした。はたから観て判るようなことではなく、作っている私の問題である。こうやって微細な単位で変化し続けて来た。 子供の頃から写生が嫌いで黒人の作品を作っていた当時、楽器以外は想像で作っていた。自分の記憶のみで作るので、当然事実とは違うが、そう勘違いするには理由があると考え、かたくなに事実を観察しなかった。知ってしまったら、もう出て行かないだろう。私の個性が失われる、デッサンなど数える程しかやったことがない独学者ゆえ大きな勘違いをしていた。 黒人シリーズの最後の個展は、家庭の事情で最後の個展になる可能性があり、だったら実在したミュージシャンを中心に作り、それを写真に撮ってみようと思った。実在した人を写真を観ながら作れば情報として事実が入って来てしまうが、最後かもしれないのでもういいや。という訳である。 結局翌年作家シリーズに転向し、以来、写真を参考に、また疑いながら続けている。先日友人に、最近はお前みたいに独学で勝手な物を作っているのも“アウトサイダーアート”というんだ、といわれた。以前は頭のユニークな人が作った物を指したはずだが。なんでもいいけど。

HP

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