明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蠟燭の炎は鬼火同様、筆で描くことになりそうである。撮影した本当の炎にするか、描いたものにするかは画面上でポイントとなりそうである。それに鏑木清方が蠟燭の炎をあっさり描いているぶん、圓朝が語る内容が炎に反映しているかのように妖しくやり過ぎてみたい。和蠟燭は太い物は高価である。描けば減らさないで済む。 随分前に入手していた燭台の、ようやく出番がきた。これを入手した時に、鏑木清方作へのオマージュを制作することは決まっていたのかもしれない。清方の圓朝は湯飲みで茶を飲んでいるが、私の圓朝は手を両膝に置いている。よって目の前に置く、蓋付きの湯飲みと扇子を注文。撮影用はできるだけ本物を使いたい。すべて別々に撮影するので、とりあえず、圓朝と燭台の撮影を開始する。 九代目團十郎の首を送付するため桐箱を入手。私の作といえど劇聖となればおろそかにはできない。九代目の送付先といえば一人しかいない。 『タウン誌深川』特集辰巳新道。 連載第二回は、30数年前アルバイトで作った旧洲崎パラダイス入り口横にある銅像の話。今は前に公衆トイレができてしまった。

HP


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