明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夜中に風が強く、ベランダでなんの音だがコツコツと足音のような音がずっとしていた。カランコロンでなくて良かったが、『帝都物語』の板東玉三郎が演じた泉鏡花が夢に出て来た。私は玉三郎に、圓朝のことを盛んに訪ねていた。圓朝は鏡花より大分年上だが、鏑木清方をはさんで交流があってもおかしくはない。 圓朝は残された写真が少ない分、イメージを固めるために文献を読みあさった。いつもすることだが、今まででもっとも読んだろう。写真には表現されていない佇まいのような物を醸し出すためには必要であった。当時の写真はじっとしていなければならず、たとえ潤沢に残っていてもなかなかそこまで読み取るのは難しい。それは九代目團十郎で思い知った。結局参考になるのは外面の形状のみである。形状のみ写すだけでは意味がない、というのをつくづく思い知らされたのは鏑木清方作の圓朝像であった。 古今亭志ん生の顔は知ってるけど、圓朝といわれてもなあ。という意見が周囲から。

HP

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