明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午後、制作途中ではあるが、北斎を見たいという方がみえたのでヨーカドー内の店でお見せする。極近所ではあるが杖を持たずに出かけられた。 この北斎は杖をついて遥か遠くの富士を眺めている図になる予定だが、ストレートに写真で、と思うと、富士山とそれを眺めている北斎の顔を、同じ画面には当然入れられない。しかし陰影を排した北斎には斜め正面を向かせ、実際は背後にある富士を眺めているという設定にする予定である。当然実物の富士山ではヘンだろう。今の所北斎の赤富士あたりを考えている。 日本の絵画には昔から背景に心象風景や物語を配して、主人公の内面を描く、という手法が普通に行われて来た。陰影、光と影という物理的なルールを排しただけでこれが可能になるのではないか。そもそも西洋に光源は1つだろうが日本には便所にまで神様がいるのである。写真とは陰影をいかに捕えるかの芸術だ、という考え方もあるが、富士山と、それを眺める北斎を共にこちらを向かせられるのならば、私にはどうでも良い。どうせ北斎だって私が作った物。ウソもホントもあるかい、という話しである。ここにきて写真を始めた当初から常に苦々しく思い続けて来た“まことを写す”写真という意味から決別することができるだろうか。
以前家にいると、トタン屋根に雨だれのような音が46時中聴こえ、エドガー・ポーの『告げ口心臓』ではないが、それは私の鼓動だった、ということがあり、それはプッツリ途絶えたが、最近はかすかに遠くの踏切のような音が聴こえる。静かな時に限るし、なんだかシミジミしてるので、良しとしている。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

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