明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



実在した人物は、依頼がない限り作らないといってるそばから作り始めた葛飾北斎だが、有名な北斎の春画『蛸と海女』のように北斎が蛸に絡まれている画が浮んでしまい、しかしそんな物作ってはいけない、と葛藤しながらT千穂のカウンターに。隣にいたIさんに北斎作りたくなった話しをすると、以前、女性に蛸が絡んでいる作品を見せていたことからの連想だろうが「北斎と蛸を絡ませたりして」。驚いていると、Iさんの奥さんがみえて、今日墨田区にできた北斎美術館に行って来た、という。これで腹が決まった。ユングいうところの意味ある偶然ではないが、こういう流れには逃さず乗ることにしている。案外こんなことで方向に変化が生じることがあるが、性能の悪い頭でひねり出した方向で良かったためしはない。むしろ棚から突然落ちて来たボタ餅のようなイメージは逃さず、東洋の魔女のレシーブのようにかならず拾って来た。おかげで行き先はサッパリ判らず。 北斎も佳境に入り、ムクムクと思い出されて来たのが『寒山拾得』である。これがなんで昔から気になっているのか自分でも理由が判らないが、いつかよぼよぼ爺さんになった頃、墨絵でも始めるのかな、と漠然と考えていた。昨年、鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュから始めた立体から陰影を排除して、という手法をやってみて、これなら身も蓋もなく写ってしまう写真でも寒山拾得図が可能ではないか、と思い始めた。そして谷中の全生庵に円朝旧像の幽霊画とともに1ヶ月円朝像を展示していただくことが決まり、そこが中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺と知った時、玄関先で『そう来たか』。帰り際、「いずれ寒山拾得作ります。」思わず口走っていた。 私はバプテスト系の幼稚園に通い、卒園後も日曜学校に通わされて以来の、神も仏も無い派ということになっているが、どうも上の方にシナリオ書いてる奴がいるな、とは薄々感じてはいる。終いには唐突に100年ぶりに発見された鏑木清方作のお菊さん図が私の円朝像の側に来た時は、『いくらなんでもこれはやり過ぎだろ』。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

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