18年も身辺雑記やらブログを続けていると、何度か書いたはずだが、中一の時母方の祖父が亡くなった。担任に呼ばれて、すぐに行くように言われた。悲しいけれど数日前に見舞って、永くはないと判っていた。生まれて初めて死体というものを見た。死ぬことは物になることのようだ。私がいても邪魔なので準備ができるまで隣の伯母の家に行っていろといわれた。千載一遇のチヤンス。というのも、この日日本テレビで『性教育を考える』という放送があり、スゥエーデン製作の出産シーンやアトリエでの男女のボカシ無しのヌードが昼間に放送されたのである。 ところが死と生とあまりにも振れ幅が大きい一日であった。夜寝床で天井を眺めながら祖父の遺体を思いだし、私も必ず死ぬ。生きているとはなんだ?掛け布団も天井もそらぞらしく感じ、長続きはしなかったがしばらくアンニュイな中学生になってしまい、以後何かしら変わった。 その母の実家は聖路加病院のすぐそばで、米国資本のその病院は爆撃はしないというビラをアメリカは撒いた。それは事実であり、むしろ木場から飛んでくる火の粉やを防ぐのに屋根の上で祖父は大変だったという。勿論、隅田川はもとより周囲は火の海であった。空襲を逃れた母は、後日、永代橋を渡り江東区側を見に行ったそうだが、あまりの光景に、私が越してきた三十年前、来たくないといっていた。 私は祖父一人亡くなってあれだけの思いをしたのだが、母は、数えきれない死体の山や焼ける臭いを嗅いでここに至っている、この違いはあまりに大きい。それを忘れて何度クソババアと呼んだことであろうか。本日くらいは反省したい。もっともそれとこれとは別かもしれず、永井荷風は戦争体験のショックでクソジジイになってしまった、という説もある。
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※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』
展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』
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