明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日慣れないことをしたせいであろう。どうも脱力感に覆われ、何をする気も起きず。 人形を現場で手持ちで撮影する“名月赤城山撮法”だが、トークショーでは国定忠治といって、通じる世代の方々で良かった。私は芝居の場面を観ると、何でも由利徹のコントで見たような気になってしまう世代である。いや世代といってはいけない、私だけであろう。昔の作品を眺めるうち、名月赤城山再び、という気が起きて来た。取り敢えず新作の葛飾北斎あたりで、例えば晩年往復し、作品も残る小布施あたりに出かけるのも良いだろう。ただそんなことを考えることになるとは思っていなかったので、北斎一体目は着物を上に羽織らせたせいで、やたらと重たい。これではマッサージに行くと「何をやってたんですか?」と訊かれ、可愛らしいお人形を作っているとはいえず、高校時代にしたアルバイトなのに、鉄骨運び、などといってしまう私も、腕を伸ばして、片手で捧げ持つことはできない。 昨日も多少の手振れは気にせずといったものの、わざとぶらすことはしない。ぶれないようがんばったが、ついぶれてしまった、というのが良いわけである。上手い嘘をつくには本当のことを混ぜるべきで、ぶれないよう頑張ることが重要であり、それがひいては、リアル感はともかく、下品になることを避ける手立てであろう。 比べると、何日もかけて合成する作品には写真という手段の持ち味でもある“今”という気分は望むべくもない。ただ、頭に浮かんだイメージを可視化して『やっぱり在ったな』。と確認するのが私の創作行為であるなら、また乱歩同様“現世は夢 夜の夢こそまこと”というなら、時間がかかろうと続けなければならない。 まずは名月撮法用に、軽量な北斎を作るべきかもしれない。 土曜日曜は午後にはなるが在廊予定である。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

新HP
旧HP

本日25日発行
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )