明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

山賊  


今日は友人が来るというので会場へ。朝外出しようとしたらマンションの下に飛び降り死体。奥さんに知らせると、宝くじを買うようにいわれたS。その奥さんと電話で話しているのを見ると、電話の向こうにいるのはパットン将軍か?と思うのであるが。腕の中で猫に死なれ、落ち込んだあげくにそれがきっかけに介護の世界にと勉強を始めた。それと某市役所に勤めながらアダルト系小説を書くI君と、一時間ほど抜け出し立飲みへ。会場に戻ると、近所の酔っ払いが女性と来ていたらしい。後で聞くと23日のトークショーをキャンセルして帰ったそうである。この68になるオヤジは拙著『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)で恐れ多くも柳田國男の手足をやってもらったが、私の個展のたび、女性を誘う口実に利用し、酔っ払って来たり、相手を変えては何度も来たりする。今日もそうであったし、トークショーもその後知人の参加者と飲みに行くつもりで楽しみにしていた。いい加減腹が立って来た。何しろ小説など二十歳の時に『十五少年漂流記』を一冊読んだだけというオヤジである。私の個展など興味がない。そこで一計を案じた。「来場者からお一人指名し、ご意見を伺うコーナーをやることに決まったので頼むね。」このオヤジ、過去に結婚式で挨拶を頼まれ、暗記したはずが頭が真っ白になり、一言も発せず終わるという失態を演じている。それだけは止めてと身をよじっていたが、ついに今日キャンセルして帰った。ざまあみろである。もちろんそんなコーナーなどない。 一度休館日に来た工芸学校時代の友人が改めて。女子美で陶芸を教えており、教え子の展示を見てきたそうで、閉館間際、その美人の教え子も来てライオンへ。聞くと学生の気質も随分変わったらしい。女子美と入学試験も適当な山賊をかき集めたような学校では比較にはならないが。もっとも未だに山賊のままなのは私だけで、他の連中は案外ちゃんとしていって、彼も何人か教え子を育てられたから良かった、なんていってるのを聞くと話が違うではないか、と納得がいかないのである。


平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

新HP
旧HP


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




それにしても銀座4丁目、銀座のど真ん中で1ヶ月超の個展は異例である。黒沢映画で家康をやった方は、私が三愛ビルで個展をやるわけがない、と三愛の裏通りを探したそうである。そもそも女性専用のファッションビルのイメージで、初めて入った、という男性の声を良く聞く。それにしても私が会場でコーヒーを飲んでいることが信じられない。昔は喫茶店でソーダ水を飲むのがカッコ悪く、トマトジュースに転向した。ミルクを入れれば胃がもたれないことは判っていたので、アイスに限れば飲むことはあったが、あまりに暑い日に、自動販売機でブラックのコーヒーを買ったのは、ついこの間で、以来、たまに買うようになった。エスプレッソが濃いコーヒーであることも初めて知ったのだが、空腹時さえ避ければ飲めることも判った。ただまだチャレンジ的行為の範疇は抜けてはおらず、この個展以降も飲むか、というと疑問ではある。しかし好き嫌いの多い男はカッコ悪いとは思っているので良いことではあろう。思えば私カラオケにいくようになるとは思いもよらず、いやそれよりも、私がカメラを始めた時、またパソコンを始めた時の友人等の驚きようはなかった。それがまさかの必要不可欠な物になるとは。もっとも、デジタル処理といっても、色調整と切り張りをしているだけといってよく、ハサミと糊は使わないけれど、という程度で良い。被写体を自ら作る“二刀流”は、その特徴を打ち消してしまう。作品の造形が粘土感丸出しなのはそういう意味もあったのか、と他人事のように感心した本日の私であった。以降、例によって知っててそうしていたことにしよう。平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

新HP
旧HP


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )