私のように閉じこもって制作していると、傍から見ればぐうたらしているように見えるだろう。よってうっすらとした罪悪感とともに生きている。正月やお盆、その他連休などは、罪悪感にさいなまれないですむので、その間はすがすがしく社会人と一緒に休まずに、制作しているのが常である。つまり、余り大きい声では言えないが、そういう意味では家に居ることが推奨されるコロナ禍の昨今は、案外気が楽である。 役にも立たず必要ともされない物を制作し続ける、というのはそうしたものである。そんなことは知ったことか、といえれば良いが生まれた時から、薄いガス室のような空気を吸いながら生きている。あまり嬉しそうな顔は危険である。頭の中に浮かんだ物を取り出すことだけに集中し、世間的にどうだ、などまったく考えないで生きるというのは、まさに極道者というそしりは免れないが、しかし極道者にも、ルールという物があって、幸いにも私には居ないが、例えば妻や子のために頑張ろう、なんていうのは、絶対やってはいけないことである。そんな不純な動機で制作した物を他人様に披露するなんて失礼千万なことである。あくまで、止むににやまれず、そうするしかないから作った物だけを披露するのが、私の仕事であり、渡世であろう。 ブログでは常々披露しているが、何かのきっかけで、とか、何か理由があり、とかではなく、生まれてからずっとこの調子であるから、社会人の中に紛れて生きるにはどうしたら良いか、私だって多少は学んでいる。あるかどうか判らない能力を全力でかき集め、寝床を寝心地悪くして睡眠時間を削って制作し発表する。その様を見て呆れかえる人あるも良し、またたまには、作品を家に持って帰り、家族にバレないよう、タンスの奥に隠しておこう、なんて人が居れば、こんな有難いことはない。 本日も金魚を眺めながら、寒山拾得を制作するために、普通に励んだら絶対失敗するし、打開策は生まれないだろう。と一人ごちるのであった。例によって傍から見れば、怠け者が言い訳しているようにしか見えないであろう。
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