明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私がピクトリアリズムにはまったきっかけは、野島康三のブロムオイル作品を見たからだが。世界をリアルに写し取れると衝撃的な発明であつた写真が、人心地ついてみると、ただ写生するだけでなく、絵画という先行の芸術性を取り入れようとする。乱暴にいってしまうと、絵に近ければ近いほど芸術性が高いという風潮が現れる。それが一世を風靡したピクトリアリズムであるが、それも時代が変わると、絵画の模倣である古くさい技法と見なされるようになる。日本では、ピクトリアリズム作家の多くが富裕なアマチュアであり、金持ち喧嘩せずなのかどうか、カメラという機械を使ってリアリズムを追求する若い流れに押し流されて行く。野島康三が、和服を洋装に着替え、ダンスをし、新しい流れについて行こうという様は、好きだっただけに、何故同調するはあった限り無理、と腹立たしかった。 葛飾北斎を描いたドラマで、北斎役の長塚京三が、西洋画を観て「見たまんま描いていやがる。」といったとき、私には『日本人は見たまんま描くようなダセェことはしねェんだ。』と聞こえた。写真という見たまんま写る、真を写すという写真という物に長い間、ジタバタとあらがって来た私には、快く耳に届響いた。にもかかわらず、北斎は、西洋的陰影表現、遠近法を取り入れていく。私には最晩年の西洋的手法を取り入れた作品は、中途半端な作品にしか思えない。野島康三が、銀塩写真に転向してからの作品が、私には普通のつまらない作品に見えたと同様、苦々しい気分であった。あの頃は、私が陰影を写真から排除することになる前後だったのではないか。北斎とすれ違い、背中を向けて逆方向に進んで行くことになったような気がしたものである。私は一人、草一本生えていない荒野を何処へ行こうというのか?何ていいながら、そんな所にいないと寂しくなる私。人と違うことがしたい、なんて思っているようでは、大体人と同じである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )