明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得図という物は昔からモチーフにされて来た。中国は寒山寺の拓本が土産物として売られ続け、日本でも旧家には良く床の間にぶら下がっていたものらしい。大昔からある画題、モチーフでも特に寒山拾得を、と考えたのは、二人の謎の表情がポイントとなっていたからであろう。寒山拾得図は星の数ほど描かれ続けてきたが、玉石混交、いくら見事に背景が描かれていようと、二人の表情に魅力がとぼしければ、興醒めである。この画題は寒山と拾得の表情こそが肝心であるり、そこに惹かれたのであろう。考えてみると、風景画といわれても、誰だったか、街に橋がある作品と、槐多木炭画くらいしかとっさには浮かばないのである。花鳥風月自体にそれほど興味がない。かつてジャズマンを作っていたころ、顔を引き立たせるために、いやいや楽器を作っていたが、今回中国の山深い岩山など作るのも、ひとえに寒山と拾得の表情のためだけである。楽器と違ってカタログや実物を写す訳ではないので面白いだろう。岩肌は、高橋幸宏さんのアルバムEGOのレコードジャケットで、経験済みである。そのずっと前だったか、村山槐多で『尿する僧』のオマージュ『尿する槐多』を作った。突き立った岩のてっぺんで放物線を描く。当時はデジタルのデの字もなかったから、後ろからチューブにつないだ注射器です放尿させた。足下の芝かなんかをむしって粘土制の岩に貼り付けた。現場での馬鹿馬鹿しさは大変な物であったが、ファインダーの中、あるいは出来上がりのプリントさえイメージ通りならば、馬鹿馬鹿しい方が楽しい。


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