幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚かららんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。
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