明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



被写体から陰影を廃するという最初の試みは正確にいうと『鏑木清方作三遊亭圓朝像へのオマージュ』ではなくバストアップの圓朝の周囲にヒトダマが浮かんでいる作品であるが、手がけるまで時間がかかった。一月くらい、頭の中で圓朝がずっとこちらを見てたのを憶えているが、当時のブログには、あの頃の葛藤が書かれているはずので、我が大リーグボール3号の完成の流れをいずれ読み直してみたいが、憶えているのは、ヒトダマのことである。寄席や、映画で使われたような、真綿に焼酎を浸ませて火を点けたようないわゆる”焼酎鬼火“あんなダサイ物は絶対に撮りたくない。結局、半紙に墨汁で筆描きした物を反転し、重ねて使った。以降、蠟燭の灯りも筆描きとなる。後で考えてみると、陰影を排除するということは、艶や、光の反射にも制限がかかる。よつて実に合理的な手法なのであった。円谷英二同様、火と水には苦労する。 手塚治虫のジェット、ロケット噴射は蠟燭の灯のようである。蠟燭の火を撮影してみたが、出力不足は否めず。噴射を強めた。寒山拾得でも焚き火あたりが、登場しそうである。それはまた筆描きするとして、問題は水である。陰影がないということは、艶もなければ反射もなく、また空気感もなくはないが難しく、いいずれにせよ四元素には工夫が必要となる。



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