明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



浮世絵的逆遠近法は、陰影をまず排除して、返す刀で、と企んでみたものの、写真作品に取り入れるのは簡単なことではなかった。つげ義春トリビユート展において、『ゲンセンカン主人』で試みた。漫画が原作であるし、それにかこつけ試して見たが、見事討ち死に。グループ展の会期中に二度作品を差し替える、という失態を演じた。結論とすると、その遠近法を用いた景色の住人は、それ相応なフォルムの持ち主でなければならない。顔こそ作中の女に似せて現実離れはしていたものの、被写体は実物の女性である。その空間にはそぐわず、遠近感はほぼ現実的な物に戻した。5月の個展では、画室における葛飾北斎で再度チャレンジすることも考えたが間に合わなかった。とはいえ、北斎の造形具合では、また同じ失敗を繰り返したであろう。実在した人物を制作すれば、それなりのリアル感で制作することになるが、浮世絵にしても、人物表現がリアルになる幕末以降、かつての遠近法もそれに応じてなりを潜めていく。 真を写すという見たまま写るのが本来である写真で行うことは、陰影の排除以上に、造形の加工は不可欠である。なのに主役の人物が、相変わらずリアリズムのままでは無理というのがゲンセンカン主人での結論である。 それでこの話は終わるはずなのだが、寒山拾得ならどうだろう?そもそも架空の連中である。豊干に至っては虎に乗っている始末である。その虎さえ、猫に演じてもらう可能性が高い。背景も私が机の上で数千メートルクラスの岩山を作る訳で、空間が歪んでいるどころの騒ぎではない。 金魚に餌をやりながら『お前等どう思うよ?』連中は異議を唱えることもなく、ただ餌を食らうのみであった。

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