明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は、定位置の椅子に座ることで金魚は餌の時間だと判断するのかも、と思ったが、どうやらそうではなかった。違う場所にいても餌くれ、とやっている。餌のやり過ぎは寿命を短くする、といわれるが、私は連中をより大きくする方向に決めている。アマチュアの飼育家は、勤め人はなかなか目が届かないことを嘆いている人がいるが、私の場合はそうではないので、消化不良に気を付けながら、少量の餌を何回もやっている。そう書いていて、常に餌くれとジタバタして、優雅な様子を見せないのは、私が悪いのであろう。躾がなっていない。しかし、これから寒くなる季節に向け、徐々に餌を減らして行くことにする。拾得のホウキが、いつの間に柄を残して食われていた。ミニチュアのホウキをまた買おう。最新知ったのだが、金魚も喉の奥に磨り潰し用の歯があるそうだ。 寒山と拾得は、文殊菩薩と普賢菩薩だということは知っていたが、いつも虎に乗っている豊干は、実は阿弥陀如来だという話がある。寒山詩の序には、そのことは触れていない。どこかで、ちらっと目にした時は、見なかったことにしよう。と思ったのだが、某書ではっきり目にしてしまった。聞いてないよーという話である。最後まで知らなかったことにするか、それに対する演技プランは後で考えることにする。 最近二軒飲み屋を開拓した。昨年まで住んでいた所では二十年で二軒であったが。私が通う店といったら、テーブルに味の素が置いてあったり、今日の店は壁に”二級酒“とあった。勿論それをオーダーしたのは言うまでもない。

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