昨日16日はTrexのマーク・ボランの没後43年だったそうである。工芸学校を出て、岐阜の製陶工場に就職した。10時と3時にお茶の時間があり、お新香を齧りお茶を飲みながら新聞で知った。この間プレスリーが亡くなったばかりじゃないか。予言通り30になる数日前に死んだ。 先日再会した幼馴染みのYと武道館公演を観にいった。学校のロック好きには内緒にしていた。化粧をして軟派なメージがあったせいである。隔世の感がある。後ろの2階席からアリーナ席を見ると、沢田研二、加藤和彦、鈴木博三がツギハギのジーンズでいた。マーク・ボランはある曲で、アンプの後ろに回り、アリーナから隠れるようにして、後ろのC席の客だけにギターを弾いてくれた。もちろんほんのわずかな時間ではあったけれど、ああ見えて、良い人であることは間違いがない。後はバスドラのペダルの調子が悪くなったことと、ミッキー・フィンが投げたタンバリンが、まっすぐ我々に向かって飛んで来たが、カーブしながら落ちていったのを憶えている。TREXは、たまたま日本橋高島屋のレコード売場で『電気の武者』を入手し、一回聴いて、Yの家へ、これを聴け、と雨降りの中、出かけた。彼はその後、ロキシー・ミュージック方面に行き、私はブルースブームの洗礼を受け、ブルースに走った。そのおかげで、後にジャズ・ブルースの人形を作ることになる。こうして過去を圧縮して思い出すと、何もかもが無駄なく連なっているように感じるが、その最中は、すき間だらけ無駄ばかりだった。Yとは何年か前に、たまたま会ってお茶を飲んだが、ゆっくりしやべつたのは数十年ぶりである。いきなり幼馴染みから電話があり、当初警戒しただろう。電話の声がそんな感じであった。何かの勧誘だと思うのが普通である。ところが会ってみたら、最初から最後まで金魚の話ばかりで、呆れたことだろう。旧友と会うと、私だけがどうでも良いことを憶えている。本人は憶えていないが、幼稚園児の頃、彼は女言葉であった。彼と出会ったのはバプテスト系幼稚園であったが、小学校4、5年の時、彼の家の前で、神様はいる、いないで激論した。私は雲の上にあんなオヤジが居るわけがないだろ!目を覚ませ、と。 ところで、このどうでも良い事ばかり記憶している私ではあるが、こと創作に関すると、大変な戦力となる。自分の中にない物は出てこない事を考えれば、当然である。こうやってまた、肝心なことが身に付かないことを良いように解釈している私あった。
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