数ヵ所壁を張っていないところを塞ぐ。入り口の戸を1枚残してすべて塞がる。漆喰を早く塗りたかったが、下地をまずやっておかなければ後々面倒になる、と予定より遅くなかった。普段段取りなど、あまり考えていないので勝手が大分違う。当初出来た所からやってしまって、後になって剥がしてやり直しして、さすがに段取りを考えるようになった。 今回改めて思ったのが、昔住んだ屋根裏部屋とか、神社で遊んだ記憶などが案外戦力となった。昔、仕事である外人アーティストを作った時、現在の写真やビデオを参考資料に貰ったのにも関わらず、そのまた昔、音楽雑誌で見ていた頃のその人になってしまっており、人に指摘されるまで気が付かない、ということがあった。つまり目で見たことより頭の中のイメージが優先してしまう、というタチな訳で、子供の頃、図工の時間は大好きなのに、写生となるとまったくやる気が出ずへこみ、シャッター押すととりあえず見たまま写る写真に長らく興味を持てなかった理由も、それで解釈が出来そうである。また自分で作った物を被写体とし、撮影することにより、眉間にレンズを向ける疑似“念写”が可能になることを見つけ、その道具、手段としてのカメラ、写真がようやく好きになった。陰影を排除した石塚式ピクトリアリズムに至ったのは全くの必然であったろう。そう思うと、頭に浮かんだイメージは何処へ行ってしまうのか、と悩んだ幼い私であったが、どうもその一点に取り憑かれた一生といえそうである。