明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ジャズシリーズの頃から搬出入をお願いしている運送屋さんは信頼できる仕事ぶりなのだが、欠点といえば江戸っ子で何をしても早い。よってそれを計算して時間を指定するのだが、それでも若干早めに到着。屋根と本体分けたままなので、搬入は楽であつたが、急遽乗せた藁葺きの水分のせいか歪みが生じ若干隙間があり、接着したかったが、設置場所の都合もあり、後日に。正面は全開、窓も一つ開いているが、江戸時代は暗かったといっても、会場の煌々とした照明の下では暗い。担当者と相談の上、半開きにすることに、戸板は持って帰る。 奥の細道に出かけた直後、という設定なのだが、やはり文机、米を入れたヒヨウタン、煙草盆は用意することにした。最後にペンペン草を屋根に植えて帰宅。 建物を作ると人形と違ってこうなるの?とはけっしてならず、いかにもあの芭蕉の作者が作るとこうなる、という結果になった。担当者と、こうなるとやはり芭蕉の樹は欲しくなるね、と。私としては、窓を一つ開けたのは、そこから古池を眺める設定なので古池も、といきたいところである。



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当初、私の芭蕉像が収まるサイズの芭蕉庵を考えていたことを思うとゾッとする。今使っているのは、模型工作レベルの材料で、1番太い柱でも2センチだが、当初の構想通りだったら、それこそ材木のレベルで、外に出すのもベランダから降ろすことになったろう。しかも芭蕉の樹や古池まで作ろうと考えていた。しかしそれでは芭蕉記念館の何処に置けばよいのか、という話である。 多く残されている芭蕉庵図は、ほとんどが後世に描かれた物だが、先日書いた通地べたに直接設置している図が案外多い。ただてさえ、埋め立てられた湿地である当時の深川の潮臭い場所で床下がないのはあり得ない。と先日も書いた。しかし実のところ床下の空間がほとんど無いような部屋に住んだ経験が私にはある。朝起きると床はナメクジの這った跡だらけで、とても床に布団を敷く気にはなれない。ナメクジ長屋に住んだ古今亭志ん生の心持ちが私には多少解る。 私がいいたいのはそんな話しではない。床が高い分、履き物を脱ぐ敷石が必要であろう。何に入っていたのか。荷物に入っていた発砲スチロールの欠片ほがあり、私が寝転がっていたせいで押しつぶされており、それが何とも良い感じの平らな岩に見え、ちよっとちぎっただけでそのまま色を塗って使うことにした。何しろまったくら作為のない、まさに自然石の趣である。 それにしても今回の芭蕉庵は、私の屋根裏、またはナメクジ部屋に住んだ経験が十二分に生かされている。

 



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