屋根は完成した、といったのは、昨日の私である。ラブレターをポストに投函するのは一晩明けてからにすべきである。今日の私は、完成してないじやないか、とここもあそこも、といっているウチに夜になってしまった。夕飯の買い物に行く前に、漆喰を作る。勿論本物の漆喰ではないけれども。一時間ほど練り続けた。漆喰を済ませない限り、すっピンの女性みたいなもので画像アップもままならない。これにより様々な出来事を壁に塗り込め完成に向かう。 夜、工芸学校時代の友人に電話してみる。岩手県は中尊寺の近くで陶芸をやっている。二回遊びに行ったことがある。実家は巨木に囲まれていて、手を伸ばすと隣家に触れてしまうような東京の下町育ちには驚きであった。小学生の娘がいたが、というと、もう三十過ぎだと聞いて驚く。私のように子供が大きくなったり、新入社員が入ってきたりしない生活とは、鏡がない世界で生きてもいるようなものである。気が付かないうちに時間が過ぎている。二回目は田村写真の田村さんと、写真撮りながら青森に行く途中に遊びに行った。私は寺山像を持って三沢周辺で撮影し、寺山記念館まで行った。あの頃は、今と違って人形持って出かけては数十カットをものにして帰って来た。撮影していて「寺山修司だ。」と始めていわれた。 作品の手法、モチーフの変化にはさすがに時間経過が刻まれている。友人には、話が長くなるし、説明もし難いので寒山拾得の話はしなかった。