明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  



芭蕉記念館に行き、芭蕉庵に燕の巣、文机、煙草盆、ヒヨウタン、燭台を配してきた。開館中は作業出来ないので、少々手を加える部分は後日。

星の数ほど描かれてきた『寒山拾得』だが、どれほど描かれて来ようが、中国が何千年だろうが私のようなアプローチは初めてであろう。ただそれだけで毎度お馴染みの、何物にも代え難い快感がこみ上げて来る。この渡世も私くらい長いと、“要らないから誰もやらないのだ”ということは、頭の隅にもよぎらせないことが可能である。 ”人は頭に浮かんだ物を作るように出来ている”確か養老孟司がそんなことをいっていたが、実に恐ろしい仕組みである。恐ろしいけれども、その仕組みのせいだとしたら、仕組みの問題であって私には何の責任もない。責任が無い割に幼い頃から薄いガス室に閉じ込められているような、そこそこのバチが当たり続けている心持ちがしないでもないが、プラマイゼロということで良しとしておこう。ここまで来るとプラスもマイナスも判然としないが、何もかも得ようとしてもそうは行かず、何かを得るためには、何かを捨てなければならない。誰に教えられずとも、そのことについては私の動物的勘が、あらかじめ知っていたことは何よりであろう。 昨日芭蕉記念館にスマホを忘れ、今アップしている。スマホを忘れるのは今月2度目である。そろそろ危ない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )