明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日のブログで、三島の命日11月25日がすでに過ぎてしまったつもりでいた。数字に弱い事もあるが、むしろ全方位的方向音痴のせいだろう。1年に1度、これから暑くなるのか寒くなるのか一瞬考えることがある。 芭蕉芭蕉庵制作も、頭を使う場面もなくなってきた。仮に屋根を乗せてみて、開口部から屋根裏を眺めてみている。丸太を削り出した、という設定の梁を見ていると、二十歳で住んだ、岐阜の瑞浪の屋根裏部屋を思い出す。やたら寒く、水道を夜中の間、少し出しておかないと水道管が破裂する、といわれていたが、つい忘れて破裂してまった。大家の婆様には近所に住む恋人がいて、電話で相談すると「とりあえずジャガイモを詰めろ。」といわれていた。 ここまで来ると、自然と寒山拾得のことが、忍び寄ってくる。しかしこんなモチーフに浸りきりになると、ますます浮世離れが助長され、戻ってこられなくなるのではないか?なんて一応、危機感を感じている風を装おってみたりして。もうすでに、友情を持って止めてくれる連中もいなくなってしまった。もっとも、時に寝床に本を撒いて寝心地を悪くし、何年もかけて、三島由紀夫が様々死んでいるところを描いてしまった人間に今さら何と声をかければ良いのか。もはや処置無し、というところであろう。



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