江東区のは芭蕉記念館に行くと、最寄りの森下駅の、様々な絵師の芭蕉像のパネルを見ることになる。これにしても、芭蕉の門弟の描き残した芭蕉像とは無縁の物ばかり。垂れ目の好々爺がほとんどである。芭蕉は吊り目で、がっしりしていたんだ、とか、夏目漱石の鼻は鍵鼻で、あれは修正していたんだ、と私がいくらいったところで、多勢に無勢である。いや、ただ私が気にしてるのは、何を勝手に鍵鼻にしたり吊り目にしているんだ、と思われるのが嫌なだけで、もう勝手にしてくれ、という感じである。 『寒山拾得』の二人は痩せている、と書かれているのに、何故ほとんど唐子のようなぽっちやり童子風に描かれてきたのであろうか。昔からの土産物の定番、中国の寒山寺の土産物の寒山と拾得でさえ相撲取りのようである。伊集院光が、あまりに自分にそっくりなので、ヤフオクで落札したというくらいである。 そう思うと曾我蕭白が描く寒山と拾得こそが忠実に描かれていると思え、イカレタ野郎だと思っていたのが、作品はともかく、案外まともで、その面立ちまで、案外すっきりとした人物だったつたのではないか。なんて思えてきたりする。私の場合は、というと何しろそう書いてあるのだから、例によってその通りに描く。今回の場合は、「いや、そう書いてあるので」などと説明することもなく、なんで寒山と拾得が、痩せているのか?などという質問も出ること自体がないだろう。