芭蕉記念館に納めた芭蕉庵は、奥の細道に旅立つた直後をイメージしたのだが、会場で確認すると、庵の出入り口を閉めてしまうと室内が暗すぎるので、少し開けておくよう戸を直している。さらに旅に持って行かれない文机と門弟達が芭蕉のために米を持ち寄ったヒヨウタン、煙草盆、を追加しようと考えている。燕の巣は一応持って行って着けるかどうか考えることにする。 我が家の寒山拾得に見立てた金魚は、いつの間にか定員過剰になり、数からいえば、二軍の寒山拾得劇団が結成出来るだろう。一軍では一番大きい青文魚が豊干禅師、桜東錦二匹が寒山と拾得のコンビ。というのは相変わらず決っている。二軍を選ぶとすれば、肌色したシルク東錦が豊干で、飯田産琉金と金魚坂で入手した中国産ショートテール琉金で寒山拾得としたいところてわある。 昨日のブログで書いたが、ヘソ下三寸辺りから聞こえて来る声はともかく、表層の脳は、いくらなんでも寒山拾得は無茶ではないか、と未だに思っているのだが、理由は判らずとも衝動に任せた方が、結果は必ず良くなる。今回もいつものように任せるしかない。そして二年後の個展会場では“始めから計画通り。こうなるこのは判っていたのです”という顔が出来れば、結果オーライということになろう。