明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても、行き当たりばったりといえど、それなりの経緯という物があったはずだが、今年の話しだというのに詳細を覚えていない。臨済義玄の前に一休宗純に取りかかっていたはずだと思う。フト思い出した小学生の頃、ねだって買って貰った初めての大人向け本『一休禅師』。”門松や~目出度くもあり目出度くもなし“に感銘を受け、左卜全のような肖像画を思い出した。すると一休も臨済宗ではないか。興味深い肖像画を見るとまた臨済宗である。その段階では高僧の詳細な肖像画を残すのは禅宗でも臨済宗の特徴だと知らず、それを縁だと思い込んでしまった。知っていたらこうはならなかったろう。 しかし一休の“目出度くもあり目出度くもなし”が、寒山と拾得の笑っているようで笑っていない、不可解な表情のヒントになった。そもそも『寒山拾得』の物語といっても、登場人物は少ないし、名場面的な物も有るような無いような。かえって良かった、と思っている。 一休の竹竿に捧げ持つしゃれこうべは出来ているが、一休の頭部はまだ出来ていない。”門松や“の一休だけに、来年の元旦には間に合わせるつもりである。

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