後頭部から頭頂部、前頭部にかけて盛り上がるという妙なカーブを描いている。実際はこんな人間はいないだろう。いやどうだろう。日本人と同じように見える青朝龍や白鵬の額のアールは日本人にはないものだろう。しかしこの臨済義玄の場合、何百年も伝わる肖像画の通りに立体化するから面白い。座禅一つしたことがなく臨済録も読んでいない私が勝手に創作したらつまらない物になるだろう。作れば良いというものではない。頭部と握った右拳に、下から支える左手の仕上げにはいる。法衣の仕上げは急ぐことはない。 明日は達磨大師の後ろ姿を作る。先日書いたように達磨大師が“ダルマさんが転んだ”と振り返っている。国宝、雪舟の『慧可断臂図』と違い、達磨は慧可の存在に気付いて注意を向けている。本来その前に慧可の頭部を作る所だが、頭部はすでに10個はあるので、今はすぐに撮影出来る状態の作品を増やしておきたい。 雪舟作の見所は背景の奇岩にもある。私は奇岩にする気はない。ただ、これを実写の洞窟にするか石膏で作るか。そこで趣は変わってくるだろう。昔からウソとホントの配合バランスが工夫のしどころである。
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