出来るだけ曽我蛇足の臨済義玄像に近づけたいが、実際は喝!といってる口をさらに大きく拡げ、首を修正したため一旦消えているが、こめかみ首筋などに血管を浮き立たせるつもりである。 最近気付いた、ただ目の前の物を作ることに集中することを繰り返すメリットに気付いてから、昔から漠然と想像していた、死の床で、あれも作りたかった、これも作りたかった、と苦しみ悶えるだろう心配が消えてなくなった。友人はこれでやり切ったということはあるだろうか、俺の親父はたくさんやり残して死んだぞ。という。最も良くないのは”いつかあれをやろう、あれを作ろう“と考えることである。そこに至らない場合、後悔に苦しむのは当然である。先のことは考えず、目標をただ目の前の作品の完成に限れば自動的に、死ぬ時は昨日、或いは先月、或いは昨年、作りたかった作品が出来たばかり、という状態で死ねるのではないか。“あすなろ”なんて了見が一番良くない。“明日出来ること今日はせず“は“今日出来ることしか今日はせず”でも良い。
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