明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



曽我蛇足の臨済義玄像からおよそ200年後の長谷川等伯の義玄像は、構図こそ一緒だが、まるでインド人のような黒さで、何だか濃い。印刷もなかった頃、模写はどうやっていたのか、伝言ゲームのように、模写を繰り返しながら、それぞれ個性や工夫が加わり、同名異人的な変化も生じただろう。私にしたところで手本にはない、血管、筋を加え、どうせ喝!なら、と口をもっと開けた。今の所どこの坊様からもクレームは来ないが、義玄よりもっと偉い、禅自体を作った人物も群馬県で量産されているから問題はないだろう。 その達磨大師に教えを請うが許されず、己の腕を差し出してようやく許される後の慧可大師。雪舟の『慧可断臂図』では達磨大師に腕を差し出しているが、達磨は壁に向かったままである。私の場合は次の刹那、達磨が振り向いた所にしようと考えている。しかし今日つまらないことに気付いた。これではまるで達磨大師が“ダルマさんが転んだ”と振り向いているようではないか。私の地区では“インデアンのふんどし”というバージョンもあったが。


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