制作を再開した臨済義玄だが、座像なので足を作らないで済む。元になっているのは、お決まりの斜め45度の肖像画だが、生前本人を目の前に描いたのと違うので、少々整合性に欠ける。つまり鉄腕アトムの角や、矢吹丈、花形満の前髪はどちらを向いているのだ、という話である。クラナッハのヌードを立体化した時、解剖学的にはメチャクチャ、絵画は自由で良い。だからといって私がかつてに創作しては面白くなく、曽我蛇足の臨済義玄像を元にするから良い。 躰を作っていると、顔の部分に違和感を感じ、引っこ抜いて治す。しかしこの段階でいじっていると、取り返しがつかなくなることもある、と躰が完成してから頭部を改めて仕上げることにする。長くやって来て、何が良いかというと、失敗の膨大なデータの記憶量である。何か変だが、何処が変だか判らないという、あまりにも長かった独学者の悪夢の年月。
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