明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私はかつてイベントで奇妙な薔薇色の衣装を着けた筋肉モリモリのフランス人男性が『薔薇の精』を踊るのを見た。リハーサルから見ていたのだが、どうやらモリモリ男の中身は乙女であった。その音楽と共に感銘を受けた私はニジンスキーを知り、その数少ないポートレートを観て、雷に打たれ翌年個展をやってしまった。それを思い出すたび、私も若かった、と遠くを見る目になり、大分落ち着いたつもりでいたが、気が付いたら座禅もしたことないのに、禅宗の第一祖達磨大師、第二祖慧可禅師、臨済宗開祖、一休宗純を作ろうとしている。 確か今年の初め頃には、寒山拾得を作るといったものの策がある訳でもなく、金魚の水槽を眺め暮らしていたはずである。金魚の動きに何やら催眠効果があり、悪い夢を見させられてしまう、なんて話は『目羅博士の不思議な犯罪』を書いた江戸川乱歩でも書かない。 しかしそれはまんざらな話ではなく、私は確信を持って金魚を利用し、柳家小さんが『禁酒番屋』で酒だと思い込んだ男が小便を口にする際に、フーフー吹いて表面の邪魔な泡を退かそうとしたように、妨げになる頭を退かして腹の底から沸く物を待ち、“考えるな感じろ”を実践しようとした。これらのモチーフを手掛けるには案外理にかなっていた、と思っている。

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