明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得だけで個展をと考えていたのに、モチーフが広がってしまった。それは禅宗に祖師像(宗祖など高僧の肖像画)を遺す習慣があったためである。肖像画は対象の代替物として機能するもので、似ていなければならない。それが鎌倉時代の美術に写実的迫真性をもたらす。 一休禅師を作ろうと思ったのは、鏑木清方の三遊亭圓朝像の表情に匹敵する迫真的な表情の一休像が、小学生の私に”門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“と共に私の頭に刷り込まれていたからである。当時左卜全そっくりに見えた。調べると一休も寒山拾得の臨済宗の僧ではないか。返す刀で喝!といってる開祖臨済義玄の表情に惹かれた、という理由だけで、義玄の首も作った。 そんな訳で臨済宗繋がりで導かれるように、と思っていたが、なんてことはない、国宝、重要文化財の禅宗の祖師像76件のうち、曹洞宗1件、黄檗宗1件、他の74件が臨済宗の物だと知った。 


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